究極の大人の習慣化について考える
はじめに
自分で自分を育てていこう!習慣化コーチのこんちゃんです。
今日は木曜日、心のつぶやきの日。
先週触れた大人の習慣化、「究極の大人の習慣化とは選べなかった人生を成仏させるため」と言ったのですが、やっぱり表現が分かりづらいですよね…。
今回は、少し具体的な事例を交えて補足しながら続きを書いてみたいと思います。
選べなかった人生とは
人生、というとすごく大きなことのように聞こえますが、結局は小さな選択の積み重ねで、それが結果”自分の人生”になっていくわけですよね。
選べなかったというのは、迷ったけどいろんな事情があって、結局そちらを選ぶことができなかった。もちろんその時は、自分なりに納得して、あるいは半ば強引に納得させて違う選択をしたわけですが、もしもう1つの方を選んでいたらどうなっていただろう…と思うこともありますよね。
例えば、習い事、部活、進路、就職、他にもいろんな場面で本当は選びたかったけど選べなかったことはあるはずで、その中の1つでも大人になった今、救い出してあげる。それが、私の思う「究極の大人の習慣化」で、これからの人生を豊かにするための大きな力になるのではないかと考えたりしています。
私と英語
以前パーソナルヒストリーでも少し触れましたが、私は高校を選ぶ時、工業を学ぶ高専に進学しました。実はその時もう1つ選択肢としてあったのが、県内にある普通科の高校の”国際コース”でした。生きた英語を学んで仕事で活かせるという点で、当時英語が好きだった私にとってとても魅力的な進路でした。
結局、家の事情もあり私はそちらは選べなかったのですが、ずっとどこかで「あっちの人生を選んでいたら何か変わっていたかな…」と思っていたのも事実です。
大学に進学し、就職や結婚ですっかり英語のことは忘れていましたが、37歳の時、転職した会社でいきなり英語が必要になったのです。外国にあるグループ会社から外国人の社員を30人ほど迎えて工場見学と研修をアテンドする、という今までに経験したことのない難題。その時はほとんど英語がしゃべれず上司や同僚の陰で何とかやり過ごしましたが、翌年以降のことを考えると気が重くなったのを覚えています。
その会社はTOEICが昇格条件の1つでもあり、半ば仕方なく英語の勉強を始めたのですが、忙しさを言い訳に気持ちも乗らず成果も出ませんでした。3年ほど経って見かねた上司から「社内の英語研修」を受けるよう指示をされた時、ふと15歳の私を思い出したのです。
「今はせっかく英語を勉強できるタイミングなのに、ここで真剣にやらないとあの時と同じになる」と気づき、それを意識するようになってから自分でも驚くくらい英語学習への姿勢が変わりました。9ヶ月の英語研修を終え、今でも毎日英語に触れることにしています。
「まだやってるの?どれくらいTOEIC点数上がったの??」「使わないのに何で英語の勉強してるの?」「習慣化コーチとしての持ちネタ??」などと、冷やかし半分の声をかけられることもあります。
でもまったくそんな周りの声が気にならないのは、大人になった今、あの頃の自分を守ってあげたいからなのかもしれませんね。みなさんの「選べなかった人生」から、今救ってあげたいことはありますか??
身近な人から
私の知り合いを2人ほど紹介します。
1人は、仕事をバリバリやってきて、子どもが大好きなんだけど自分の子どもを持つことが叶わなかった方。長い間、毎月恵まれない子どもに定額寄付をしていて、定年後もこのまま寄付を続けたいと思って働けるまで働こうと決めたそうです。
もう1人は名前に「舞う」という字が入っている方。幼い頃から自分の名前が好きで憧れているのに、舞えていない自分、毎日満たされないと悩んでいました。そこで、今まで勇気がなくてできなかった「物理的に”舞う”」ためにダンススクールに入ったところ”コレだったんだと!”と気づき、今では熱心に練習を重ねイキイキ過ごしています。
どちらも内容は全然違うのですが、私は「選べなかった人生を成仏させるための究極の大人の習慣化」とはこういうことではないかと思うのです。うまく伝わったか少し自信はありませんが、何となくイメージしてもらえてたら嬉しいです。
おわりに
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
みなさんの「選べなかった人生」の中に、究極の大人の習慣化のヒントが隠れています。やりたいことが分からない、毎日どうも満たされない…というお悩みの方、ぜひ公式LINEから連絡ください!一緒に探っていきましょう。
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