パーソナルヒストリー②
はじめに
前回は、私の幼少期~新入社員時代までをご紹介しました。今回は20代後半からの「暗黒時代」、そして転換期までリアルに綴っていきます!
暗黒時代の私
人事部の仕事のスタートは、研修、採用、自己啓発。何となくあわただしく過ぎていき、ジョブローテーションもあり、あっという間に20代の後半を迎えます。
これでいいのかという焦りからぼんやり転職を考えるも、資格もないし適当にやっていた仕事。やりたいことも分からないし、このまま転職してもうまくいくとは思えず。
夫は毎日、仕事も忙しく出張も多くて不在がち。一方仕事に慣れてきて暇を持て余す私は、友達や同僚と毎日のように飲み歩き、遊び歩いて、虚しさを何かで埋めようとしていた暗黒の時代でした。
そんなモヤモヤを抱えて迎えた31歳の春、夫と今後の生活について話す中で、この状況の「ヤバさ」に気づきます。仕事、家庭、子ども、全部中途半端な状態のまま年を重ねることの恐怖です。
あんなに早く自立したいと思っていたのに、結婚したことで何か大事なものを忘れていたんです。何もない自分と、仕事に邁進する夫との差。自分の人生、自分のキャリア、若くに結婚したことで100%夫に依存していたことに気づいた時のショックは今でも忘れられません。。。
そこからの私は、キャリアアップのために出向の希望に手を上げ、社労士の学校に通い、何とか自分の足で立つために、自分で生きていかなきゃと必死にもがき始めます。
社会保険労務士合格をきっかけに
難関資格と言われる社労士試験、チャレンジを決めたものの人事部でも労務系の仕事はノータッチだったため、ここでも苦難は続きます。働きながら学校に通って勉強し、寝ても覚めてもランチの時間も、お得意の「毎日コツコツ」はここでも発揮されます。
1年目、全然ダメで不合格、2年目、1点足りず不合格、そして34歳の時に、3年目にしてやっと合格できました!何とかこれで「人事のエキスパート」と名乗れるようになった、いつか独立したいという夢を持つようになります。
でもまずは、今の会社で資格を活かせる実務がしたいと申し出て、ジョブローテーションで労務業務に取り組みます。いろんな知識が実務とつながって、忙しいながらも充実した日々でした。ようやく明るい未来が見えてきました!
そして37歳の夏、「実家の父の病気」という表向きの理由もありましたが、思い切って夫を置いて地元岡山へUターン転職に踏み切ります。人事の幅を広げたい、自分の力を試したい、いろんな意味でリセットしたい!!
家族の理解があってこそ実現できたと、あらためて感謝ですね。そしてこれは、私の人生においての大きな転機になりました!
転職後の私
岡山に転職してからは、人事の経験が広がりました。工場人事、製造派遣、評価、障がい者雇用、女性活躍推進、そして初の「チームリーダー」としての役割。慣れない環境でしたが、上司や同僚に恵まれ、前向きに仕事に取り組んでいました。
その時の上司に言われたことがあります。「あなたが仕事でやりたいことは?」何のために働くか。誰のために働くか。仕事とは何か。成し遂げたいことは。誰の役に立つのか。
このあたりから、仕事に対する考え方や価値観が少しずつ変わってきたんですね。私の事業の「人と組織の可能性を追求する」という考えは、この時に言語化した想いがもとになっています。
そして、転勤の辞令やコロナもあり、4年間の単身赴任生活は終わりを迎えます。「会社に頼るな、会社を育てよ」という熱いメッセージに惹かれて、私の会社員として最後の会社と決めて、3社目の会社に転職を決めました。
創業者が社長として第一線で活躍しているオーナー企業で、創業者の責任、判断力、先を見通す力、周囲との関係性の築き方、いろいろ自分でビジネスをするために必要なことを学ばせていただき感謝しています。
人事の幅もさらに広がり、人事制度の構築や、組織開発、人件費管理などに加え、最後「希望退職(リストラ)」業務をやり終えて、人事の仕事を一通りやり終えたという達成感で会社員生活の卒業を考え始めたのです。
おわりに
長くなりましたが、パーソナルヒストリー②はこのあたりで終わります。次回は最終回、「習慣化をビジネスに」からスタートしたいと思います。お楽しみに!