パーソナルヒストリー①

パーソナルヒストリー①

はじめに

私は2023年10月末で、20年以上の会社員生活を卒業して起業の道に踏み出しました。

いつか自分で事業をやってみたいと思いながら10年が過ぎ、やっと機が熟した。まさにそんな感覚でした。「習慣化」がビジネスにならないか…そんな思いつきが、いろんなご縁を経て、こうして現実になっていることに自分でも驚きです。

この仕事を始めて1年、「なぜ習慣化に行きついたの?」というご質問を受けることも多くなりました。せっかくなのでここから何回かに分けて、私の自己紹介をしたいと思います!

みなさんと通ずる何かがあれば嬉しいなと、隠さず、当時のことをリアルに書こうと思います。

幼い頃の私・・・

岡山県倉敷市で、サラリーマンの父と当時専業主婦の母、姉、そして私のごくごく普通の家庭で育ちました。

3つ上の姉は小柄で、二重で目がぱっちり、かわいらしくてどこに行っても人気者。それに引き換え私は、背も高いし、一重で目つきも悪いし、何ともかわいげのない子どもでしたね。

さらに姉は要領がよくて勉強しなくてもテストで100点が取れる。何で私は・・・。不器用で度胸もない、そんな自分を保つ術が「毎日コツコツ勉強する」だったのかもしれません。

いろんなコンプレックスと劣等感で、うまく自分を表現できない、妙に冷めてて早く大人になりたがっていた生意気な小学生でした。

10代の私

中学に入っても変わらず、姉は優秀、私は普通。ただ内申点を稼ぐため、人一倍授業態度はまじめで、必ず期限内に提出物も出す私は、推薦で何とか姉と同じ高専(工業高等専門学校)に進学したのです。

本当は進路を決める時、英語に興味があって国際科がある高校も考えたり。でも家庭内がごたごたしていたこともあり、早く自立したかった私は中学卒業と同時に実家を出て、姉と2人暮らしを始めました。

高専に入ってみると、やっぱり周りはみんな優秀、また劣等感。でも自分はコツコツやるしかなくて、先生を頼りながら一つ一つ難題をクリアし、そうすると不思議なもので少しずつ成績が上がっていったんですね。

クラスで上位に入ることができるようになると、調子に乗った私は卒業後は大学の3年次編入したいと新たな目標を立て、受験勉強に励みます。

家族も、先生も、友達も「無理な挑戦は辞めておけ」という大反対を押し切って受験した大学に、奇跡的に合格。そこは姉が行けなかった大学。「ようやく姉に勝てた!」「諦めずコツコツ続けていれば、必ず道は開ける!」と感じた瞬間でした。

大学生から社会人になって

さて、そろそろキラキラした女子大生の生活になるかと思いきや、人生そんなに甘くありません。

3年次で入学した大学、数学の道は本当に険しかったです。周りは優秀、それに比べて自分は。。。何回この繰り返しなんだ??でも何とか2年で卒業するために、先生に頼み込みレポートや追試をさせてもらって単位をもらうためにお願いしたのは、今ではいい思い出です。

就職では「好きなことを仕事に」と旅行会社に入社して、キラキラ…と夢見ていましたが、そこでも苦難は続きます。何せ生意気でかわいげのない私、先輩に厳しく指導されることも多かったです。当時「新入社員なのに、”無気力、無感情、無感動の近藤”」なんて言われてました。

1年目、営業成績が伸びずうつ状態になり、入社2年目で行き詰っていた私を拾ってくれたのが人事部でした。

翌年25歳で結婚した私は、いつか子どもを持つだろうし、両立するためにはバランスが大事、そんな思いからぶら下がり社員としての道を歩み始めるのでした。

おわりに

長くなるので、パーソナルヒストリー①このあたりで終わります。次回は、20代後半~30代前半の「暗黒の時代」からスタートます。お楽しみに!